教職課程を履修するまでに至った僕の人生のお話

はじめに

これはもともと,教職 Advent Calendar 2020

adventar.org

の22日目の記事の中に書いていたのですが,ただの自分語りだと思ったのと,それが2000文字もあったので,分けたものです.

ついでに空いていたcoins18 Advent Calendar 2020

adventar.org

20日目の記事にしました.

大事なことなのでもう一回.

ただの自分語りです.

自己紹介(?)

僕はB2から教職過程の履修を始めたB3です.

取ろうとしている教員免許は中高数学と高校情報の3つです.

本題

ちっちゃいころのお話

元々教えることは好きでした.高知県のど田舎(人口9番目と言っても高知市以西では最も大きな小学校に通ってました)に住んでいると,周りに仕事というと限られてきます.親戚をみても,公務員かそれに準ずるようなものでした.なので,職業というと,警察とかそんなものしか保育園のときは分かりませんでした.

多分高卒で働くつもりだった.

小学校に入って,先生に恵まれたので,学校の先生って良いなと思いました.

でも,これといって学校の先生になるためには~みたいなことを考えたりはしませんでした.

中学受験をした話

小学校2年生から通っていた公文の先生のすすめで小学校5年生の11月から中学受験をするため塾に通い始めました.

親に,リビングで中学受験をしてみたらどうかって公文の先生に言われたけどどうかって聞かれ,中学受験が何か分からなかったけど,なんか塾に通って勉強するらしいと聞いて,うんと答えました.

中学受験が何か分からずに通う人間ってそんなにいないと思います.中学受験という概念にそのとき初めて触れました.

どうやら今いる同級生とは違う中学校に行くらしいということが分かったのは大分後になってからでした.

最初に受けた模試(土佐塾模試という,高知県の中学受験をする人間しか受けない模試)の偏差値は37とかだった気がする.その後1年間,国語は良い先生だけど意味不明すぎてガチ泣きながら,算数はニュートン算とか楽しいなあと思いながら家の風呂がマーライオンと噂のパチンコ大好きお兄さんから,理科は理研の元研究員という謎の肩書のおじさんから,社会は話が面白い若いお兄さんから塾で習いました.ここの塾は集団でした.

滅茶苦茶先生(小学校も塾も)に恵まれていました.偏差値は最終的に60弱くらいまで上がって普通に受かりました.

中学生の頃の話

次に中学校に入りました.最初らへんの実力テスト的なサムシングで198/253というという順位でした.ワロタ.数学は追試を受けて脱出.英語は追試再追試補習というところまで.

しかし,夏休みは午前中に補習があって部活も午前中練習.部活したかったので頑張りました.英語は45点未満補習,僕は多分48点でした.今思うと補習受けた方が良かったんじゃないかなと思います.

世の中には頭の良いというのにもレベルがあると思います.小学校低学年,高学年,中学校,高校,大学,どのレベルまで授業を聞くだけですんなりと理解できるかです.

僕は小学校のところまでならなんとかギリギリ理解できていたのだと思います.中学校になると半分くらい.高校になると1回聞いただけじゃ一切合切金輪際理解できなかったです.

しかし,どうやら周りは僕が頭が良いと思ってくれていたようです.我198位ぞと思うけど,みんなは二桁台だと思っていたようです.纏ってるオーラが違うようです.

同じ部活の女子に,理解力がないと言われことがあるけど,まことにその通りでございます.ありません.

順位が悪かったのは,小学校時代,塾で与えられた膨大な課題しかしておらず,自分で計画を立てて勉強するということを小学生のときにしてこなかったからだと思います.何か期限的なものがないとできないタイプってやつです.

何をすればよいのか分からなかったし,分かったとしても多分やらなかったんですね.

まあ,それでもなんとか勉強して,中3の一番最後のテストでは61位でした.これはクラスの人達が比較的できる人達だったからだと思います.

5クラスだったのですが,中1のとき,クラス8位で学年108位,中3は,クラス17位で学年61位です.凡人以下の僕には周囲がどれだけ勉強しているがどうかって結構大事だったなと今になって思います.

中3になって,やっとaとtheがどう違うとかっていう文法的な理解をしました.感覚でやってた.

先生はよかったです.僕が勉強しなかっただけです.

高校生の頃の話

高校ではなんとか常に2桁台,50位以内に何回か入った気がするけどその程度.

でも,なんか僕の持っている雰囲気というかそれが勉強できる人らしくて,そう言われたけど,できなかったんだなこれが.高1の1学期中間テスト数学,範囲は三角比と三角関数をまとめて,僕は8割取れたつもりで返されたら24点,萎え萎えの萎え太郎だった.

高2で数学ガールに出会って,数学をただ問題を解くという見方から,ちゃんと考えるようになりました.ここで数学が面白い!!ってなったと思います.

進路の話

で,大学でも数学やるのありだなって思ったけど,どうやら自分は大学で数学をやっていくほどの力はないと悟り,数学を使える分野で面白そうなものを探して情報科学へと至った訳です.

因みに,理系に進んだのは,工学,数学,心理学,教育学,酪農畜産,経済,経営,文学その他色々,医学以外は面白そうだと思い,最終的に文転すればええからとりあえず理系っていう思考でした.医学だけは面白そうには思いませんでした.

大学1年生の頃の話

中学高校でも,教師は良いなと思っていたけど,折角大学に来てまで教師になるのってどうなのって思うようになり,教職を取るのを渋りました.

でも教える仕事はしたかったので,個別指導の塾で教えていました.

大学1年生が終わった頃の話

1年次が終わり帰省したときに会った後輩は某KUに進学したのですが,教職を取って教師になるって言っていたのでここでかなり揺らぎました.

そして,4月1日(だった気がする)に教職を取ってる人と話をしていて, じゃあ僕も迷ってるくらいなら取っちゃえとなり2年次から履修し始めました.やめるのは簡単です.理系が文転するのと一緒ぐらいの気分でした(文系の方ごめんなさい).一個上の先輩に,同じように2年次から履修を始めた方がいたからっていうのもあります.

大学2年生から今までの話

教職楽しい.取って損ではなかったと思います.

理論理論理論だけれども面白いです.

進路選択に際して,あまり人間を対象としたことをしたくない(個々に差異があるのがいやだ)という気持ちが強かったんですけど,まあ話を聞いているだけなら面白いです.

ちょっとかなりヤバイやらかしを1回したんですけど,まあなんとかなりました.教育実習先も決まっているので,やってきます.

今後の展望

卒業後すぐに教職に就くつもりはないが,どこかで仕事に満足したらやめて教職に就くのもありだなと思ったからです.よく何かを書いて出さないといけないときに,そうやって社会で自分の学んだことを生徒達に還元していく的なことを方々で書いております.

おわりに

これだけだと何で取ったのか分からなかったかもしれませんが,きっかけは,教職をとっておくと後々役に立つかもしれないでした.いまは面白いというのがモチベーションになっています.

ありがとうございました.